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ごみ清掃員として現場で働きながら「ごみ清掃芸人」として発信を続けるマシンガンズ・滝沢秀一さん。今回、滝沢さんのオンラインコミュニティ「滝沢ごみクラブ」の定例会「SDGs勉強会」に熊坂(当メディア編集長)がゲストとして登壇しました。先日公開した日本循環紀行第2弾「『東京ごみ戦争』は何の戦いだったのか」の記事をもとに滝沢さんとの対談の模様をお届けします。

ゴミと経済成長は表と裏——グラフが語る戦後の軌跡

滝沢 熊坂さん、今日はよろしくお願いします。

熊坂 こちらこそよろしくお願いします。今日は東京ごみ戦争についてお話させていただきますが、その前に日本のごみの量について少しお話させてください。

明治34年から令和6年までの東京23区のごみの量の推移グラフがあるんですが、これを見るとごみと経済成長が本当に表と裏だというのがよくわかるんですよね。高度経済成長期に入るとごみの量がドンと増えています。成長の恩恵はA面で、ごみという現実はB面で表裏一体。ところがみんなA面しか見てこなかったんじゃないかな、と思っていて。

滝沢 本当にそうですよね。ごみが出るのは仕方ない、でもそれをどうやって処理するかは誰も真剣に考えてこなかった。ごみ戦争って聞くと昔の話のようですけど、根っこにある問題は今でもそんなに変わってないと思うんですよ。

熊坂 おっしゃる通りで、高度経済成長期に入ると、当時の東京23区のごみはすべて江東区の「夢の島」に持ち込まれていました。1日5000台のごみ収集車が夢の島に集まっていたというんですが、想像できますか?

滝沢 清掃車もそれだけ行くから排気ガスの問題もありましたし、生ごみの汁が道路にポタポタ落ちる、ものすごい状況だったと思います。映像で見たことがあるんですけど、本当にひどかった。

夢の島の真実——江戸から続く「海に捨てる」文化

熊坂 実は夢の島は最初から「ごみの島」だったわけではなくて、羽田より前に飛行場の候補地だった場所なんです。戦争で計画がなくなって、次は「東京のハワイ」として海水浴場になった。その時に「夢の島」という名前がついたそうです。

滝沢 えー!知らなかった。じゃあごみの島になったのはその後なんですね。

熊坂 そうなんです。海水浴場になったもののわずか3年で台風などで廃れて、そのまま7年ほど放置されていたところに高度経済成長期が来て、ごみの埋め立て地になった。でも実はもっと歴史をたどると、江東区がごみの集積地になったのは江戸時代の1655年にまでさかのぼるんですよ。江戸幕府が深川に最初の公式ごみ捨て場を指定して、そこを埋め立てに使った。その流れが明治・大正・昭和を経て現在まで続いてきたんです。

滝沢 400年続いてるわけですね。それはもう構造化されてしまっているというか……。

熊坂 まさに。「海に捨てる」が江戸以来400年続いてきたわけです。

南風に乗ったハエが給食を奪った日——ごみ戦争の発火点

熊坂 夢の島の問題が深刻化したのは、昭和40年代に入ってからです。生ごみを含む大量のごみが処理されないまま積み上げられて、大量のハエが発生しました。南風に乗って3km先の住宅地まで飛んできて、給食の牛乳にハエが入って出せなくなるとか、窓が開けられないとか。それが4ヶ月も続いたんです。

滝沢 知り合いの年配の方に聞いたことがあって、小学校の頃に生ハエたたきを学校に持っていって、授業中もすごいいっぱいハエが来るから叩いていたって話を聞いたことがあります。

熊坂 本当に大変だったでしょうね。そこでどうしようもなくなり、自衛隊と消防が出動してごみの山を重油で燃やすという「夢の島焦土作戦」なるものまで行われたんです。

滝沢 ものすごい話ですね……そこまでになるまで、なんとかならなかったのかとは思いますが。

熊坂 そうなんです。当時、焼却炉を各地に整備しようとはしていたんですけど、住民の反対運動でなかなか建設が進まなかった。それで処理が追いつかず、全部夢の島に押しつけるという状況が続いてしまったんですよね。

「各区のごみは各区で」——江東区が立ち上がった日

熊坂 江東区は昭和40年に東京都から「昭和45年までには各区の焼却炉が完成する」と約束されていたのに、先延ばしにされ続けていたので、ついに堪忍袋の緒が切れるような形で反撃に出ました。江東区議会がごみ対策反対策委員会を組織して「各区のごみは各区で処分せよ」という区内処理の原則を打ち出しました。

滝沢 今はその原則が当たり前になってますよね。でも当時はそれさえなかったわけで。

熊坂 そうなんです。「当たり前のことが当たり前じゃなかった」んですよね。江東区は「東京の吹きだまりやごみ捨て場ではない」という横断幕を張って、他の22区に区内処理の原則への同意を求めた。ほとんどの区がイエスと答えた中で、なかなかできなかったのが杉並区でした。

杉並区VS東京都——一枚のビラが火をつけた

熊坂 杉並区の反対運動がなぜそんなに激しかったかというと、理由があって。東京都が突然、前ぶれも説明もなく、ビラ一枚で杉並区の高井戸駅前の一等地に焼却工場を作ると通告したんです。

滝沢 それは耳を疑いますよね。

熊坂 もともとその土地には有力な地主さんたちがいて、長年地域のために尽くしてきたそうなんです。地域への愛着があったんですね。住民が集結して強固な反対運動が起きました。見張り小屋を立てて、東京都と杉並区がガチンコ対決をしたんですよ。これは住民エゴだということで、ついに江東区が実力行使に出て、夢の島に来る杉並区のごみを「検問」して通さないという手段を取った。

滝沢 そうなったら杉並区でごみが収集されなくなって大変なことになりましたよね。でも江東区の気持ちも当然わかるし……。ビラ一枚で押しつけたっていう行政のやり方が一番の根本問題だと思いますよ。

熊坂 本当にそうで。昭和49年に和解が成立して杉並清掃工場の建設が決まるんですが、そこから実際に完成するまで11年もかかりました。住民との約束で「世界最先端の清掃工場にする」ということになって、地下専用道路まで作って、環境保護は万全の体制を作られました。

夢の島と高井戸——「歴史の語り方」の違いが示すもの

熊坂 今回、記事を書くにあたって実際に夢の島と杉並区の両方を歩いてきたんですが、対照的だなと感じたことがあって。杉並区では、清掃工場内に東京ごみ戦争の資料を展示する展示室(「東京ごみ戦争みらい館」)まで整備されているんです。地主さんたちが財団を作って運営しているんですよ。

東京ごみ戦争みらい館

滝沢 行ったことあります!めちゃくちゃ面白かったです。

熊坂 行かれたのですね、さすがです。ネガティブとも言える歴史を、未来への教育コンテンツとして残しているのが本当に素晴らしいと思って。しかも隣の高井戸市民センターには焼却熱を利用した温水プールがあって、入場料1時間250円でたくさんの人が利用してい大盛況でした。「嫌われ施設」だったはずの清掃工場が、地域に開かれた場所になっているんですよね。

滝沢 それはすごいですね。

熊坂 一方の夢の島なんですが、現在は広大な夢の島公園になっていて、熱帯植物園やスポーツ文化館もある立派な複合施設で、こちらも素晴らしいのですが、なぜか東京ごみ戦争に関する説明がどこにもないんです。私、全部探したんですけど。熱帯植物園のところに「清掃工場の焼却熱を利用しています」という説明があるのですが、そこに少しでも書いてあれば違うのにって思うんですよ。

滝沢 なるほど。それは確かにもったいないですね。

「目の前から消えればいい」——変わっていないメンタル構造

熊坂 東京ごみ戦争を勉強しながら、これって今も同じだなと思うことが多くて。

滝沢 まだ終わってない感じがしますよね、本当に。

熊坂 私、福島出身で、2年前まで13年ほど福島に住んでいたんです。震災後の復興の仕事もしていて、大熊町や双葉町にもよく行っていました。原発事故のごみ問題って、気が遠くなるようなスケールで、現地の方に聞くと廃炉作業中の福島第一原発の中には動かせない車両3000台、タンク1000台、そして燃料デブリ880トン……。法律では2045年までに県外で最終処分すると定められているのに、一向に進んでいないんですよ。

滝沢 線量の問題とか色々あるのはわかるんですけど……根が深いですよね。

熊坂 かつて江東区に全部押しつけたのと、ある意味構造が同じだなと思ったんですよね。

滝沢 ゴミをとにかく目の前から消したい、弱いところに押しつければいい——このメンタル構造が変わらない限り、ごみ問題って解決しないと思っていて。日本からプラスチックを資源として海外に送っているつもりが、実際は汚いプラスチックを送っているだけで、マレーシアが怒って送り返してきたこともありましたよね。今度はトルコ、次はEUの最貧国のブルガリアに送ろうとしているという話もあって。貧しいところに押しつける構造そのものですよ。

熊坂 おっしゃる通りですね。

循環に向けて——「嫌われない施設」になれるか

熊坂 各国のごみ処理を比較したグラフを見ると、日本は焼却が圧倒的に多い。サーマルリサイクル(熱回収)を海外基準ではリサイクルにカウントしないこともあって、日本のリサイクル率はドイツなどと比べると低い。分別をこれだけ頑張っているのに、最終的には燃やしているということが多いんですよね。

滝沢 生ごみを分別するだけで資源化率が劇的に上がるんですけど、なかなか進まないですよね。でも実際にやっているところもあって、人口が少ない地域だとうまくいったりする。あと、個別収集にするとリサイクルのマナーも上がってごみ自体も減るというデータもあります。

熊坂 スウェーデンなんかはごみを焼却して出た熱で暖房をまかなって、他の国からごみを買い取るまでになっているんですよね。

滝沢 もっと周辺に電気や熱を配るシステムができれば、清掃工場が「嫌われる施設」から「歓迎される施設」になれるかもしれない。武蔵野の清掃工場は蓄電設備がしっかりあって、周辺が停電になってもその施設の周りだけは電気が使えるという取り組みをしているんですよ。そういう方向が広がっていけば、清掃工場のイメージも変わると思うんですよね。

熊坂 東京ごみ戦争が教えてくれた最大の教訓は、「ごみは誰かに押しつければ終わり」ではなく、みんなで処理する仕組みを作らなければならないということだと思っています。

滝沢 そうですね。東京ごみ戦争は単純に江東区対杉並区ということじゃなくて、抽象化すると人間対ごみの対決なんじゃないかと思います。そしてその戦いはまだ終わっていないと思います。

マシンガンズ・滝沢 秀一(たきざわ しゅういち)氏
1976年生まれ。1998年、西堀亮とお笑いコンビ「マシンガンズ」を結成。お笑い芸人として活躍する一方、2012年からごみ収集会社に就職。ごみ清掃員としての体験を綴った書籍も出版している。2020年には消費者庁「食品ロス削減推進大賞審査委員会委員長賞」を受賞。著書に『このゴミは収集できません』(白夜書房)など。