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東京で家族4人暮らしをしていた原直子さんは、コロナ禍の2021年、北海道の美瑛町に移住します。その2年後、トマト残渣のアップサイクル事業で起業。いったいどんなことがあったのでしょうか。原さんの移住から起業、そして現在までのストーリーを、コラム形式でシリーズでお伝えします。

北海道2位のトマト産地で残渣を利活用

北海道のほぼ真ん中、“丘のまち”として知られる上川郡美瑛町で作物残渣のアップサイクルを事業としている、株式会社AgReturn(アグリターン)代表取締役の原直子です。
2023年10月に一人で立ち上げた小さな会社で、大玉トマトの栽培過程で出る茎や葉などの残渣(ざんさ)を原料につかった、「土にかえる容器」と「トマト和紙」の開発や販売を行っています。

なぜ、大玉トマトなのか。
それは、美瑛町が北海道内2位の生産量を誇る大玉トマトの一大産地だからです。
トマトは総量の3分の1が廃棄部分。このうちの6割が茎や葉といわれ、残渣が多く出る作物のひとつです。

美瑛町の大規模な農業法人の従業員として働いていたときにこの大量のトマト残渣を目にし、利活用を図りたいと情熱を傾けるようになりました。

多くのエネルギーを使う北海道のトマト栽培

美瑛町のトマト栽培のスタートはおおよそ2月ごろ。平均気温はマイナス7.9度、最低気温に至ってはマイナス20度を下回る日もめずらしくないほど寒さが厳しい時期です。トマトを栽培するビニールハウスでは、灯油ボイラーなどを使ってハウス内を温め、トマトの苗を育てていきます。
外は極寒、中は常夏。
普段何気なく食べていた“北海道産トマト”は、自分が思っていた以上にエネルギーを使い、大げさに言うと地球に負荷をかけて作られていることを知りました。

働いていた農業法人は美瑛町内で最も多くのトマトを栽培していて、奥行90mあるハウスを60棟管理しているので、使うエネルギーの量といったら想像をはるかに超えます。
社長は以前、話してくれました。
「めっちゃ寒い時期から灯油を使って、ハウスを無理に温めてトマトを作ることがいいとは思えないんだよね。けれども、従業員を雇用していかなければならないし、市場も商品を求めている。いろいろ考えちゃいますよ」と。

温度管理されたハウスの中で育てられるトマトの苗はすくすく大きくなります。葉が茂り、枝の脇からでる脇芽は勢いよく伸びていきますが、トマトの実に栄養分が行くように無駄な葉や脇芽は取り除き、それらは農地の空いている場所に捨てられます。シーズンによっては、そうした捨てられる葉や茎はうず高く積み上げられるほどです。
美瑛町のトマト生産者はおよそ100軒。最も多く栽培をしているこの農業法人で見る光景は、美瑛町のトマト生産の縮図だと感じました。

2021年に家族4人で移住

わたしは美瑛町の出身でも、トマト農家でもありません。
コロナ禍真っただ中、無観客試合の東京オリンピックが開催されていた2021年8月に、家族4人(夫、自分、子ども2人 ―当時小学生―)で東京都から美瑛町に移住しました。
出身は新潟県。新潟と東京で、テレビ番組の制作ディレクターを17年ほど務めていました。ハードで厳しい仕事ではありましたが、さまざまな分野・立場の人と出会え、そして番組を通して伝えたいメッセージが視聴者に届いたと実感できたときは日々の辛さを忘れるほど嬉しく、やりがいを感じていました。

ですが、出産と育児で5年ほどのブランクを経て仕事に復帰すると、育児と仕事の両立に悩み、体力・気力ともに限界を感じるようになったのです。
一方で、子どもの食を通じて食べ物(主に米や野菜)の生産現場に思いをはせ、農業に携わりたいという気持ちが芽生えてきました。

モヤモヤとした気持ちを抱えていた中、新型コロナウィルスの世界的な大流行を迎えます。
一度目の緊急事態宣言が出され、当然外出を控えていましたが、食料の買い出しでスーパーマーケットに行かなければなりません。街はひっそりとしているのに、スーパーだけは過密状態。都会暮らしでは、食料を確保する手段が「買う」ほかにあまりなく、危機感を抱くようになりました。

そんなとき、夫が「北海道に移住して農業始めたら?」とぽつり。
スキーが趣味の夫は、結婚当初から「北海道に住んでスキーをしたい」と言っていました。縁もゆかりもない場所で暮らしたいという希望をこれまでは聞き流していましたが、このときばかりは肯定的に受け入れる自分がいて、次の日から北海道のどの町に住むか情報収集を始め、縁あって美瑛町、そして前述の農業法人で働くことになったのです。

多くの人が感じていた“もったいない”を仕事に

日々農作業をしながら、トマトの茎や葉などの残渣は、私にとって“気になる”存在でした。働き始めた最初のうちは何も考えず廃棄物と捉えていましたが、あまりに多く出るので、そのうち資源として見えてきました。捨てるだけにしては量が多く「もったいない」のです。

従業員同士で話をすると、トマト残渣を「もったいない」と感じていたのは私だけではありませんでした。私と同じように農業への憧れを持って本州からやってきた30代の新米従業員も、長いこと農作業に携わっている60代のベテランも「もったいないよね~」と言うのです。さらに、美瑛に来てから仲良くなったトマト農家のママ友などにも聞いてみたら「もったいないよね」と。
農業に初めて携わった私だけでなく、いろいろな人が残渣を「もったいない」と感じている。これは、トマト残渣の利活用に本気になって取り組もうと決意する、大きな理由になりました。

大きな法人や個人生産者では、トマト残渣をたい肥にしている情報を得ていましたが、
17年間テレビ番組の制作に携わってきた私は「ほかの人がやっていることじゃつまらないな。環境への負荷を少なくしたり、脱プラスチックにつながることだったり、循環できたりする何かを、トマト残渣から作れないかな……」と、農作業をしながら考えるようになりました。

※次回へつづく