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環境意識が高い国として必ず名前が挙がるのがドイツ。他国に先駆けて1970年代から環境政策や環境教育に力を入れはじめ、再生可能エネルギーの導入も積極的に進めている国です。国家として脱原発政策が進められ、2023年4月15日には原発は完全に停止、約60年にわたる原発利用が終了しました。一方、再生可能エネルギーの割合は、2021年には47.9%に達しています。「環境都市」と言われる町が多くあるドイツで「環境首都」と呼ばれているのがフライブルグ市です。

CE.Tでは、これまでフィンランド、オランダを中心に取材を行っていましたが、今回はドイツのフライブルグ市にスポットを当て、なぜ「環境首都」と呼ばれるのか、実際にどのようなことが行われているのかについて、様々な側面から数回にわたりレポートします。(取材・文:熊坂仁美)

「緑の多い街」の背景

ドイツ南西部、スイスとフランスの国境付近にあるフライブルク市は、古くから両国との文化的・経済的な深いつながりがあります。また、南に位置するためドイツ国内でも日照時間が長く、ソーラー発電に適しており、果樹の栽培も盛んで、ワインの生産地でもあります。豊かな自然と景観で観光地としても人気が高い「黒い森(シュバルツバルト)」の入口でもあります。

今回は、フライブルグ地方に25年在住するコンサルタントで森林管理、環境、建築、再エネ等に詳しい池田憲昭氏にガイドをお願いしました。

ドイツ南西部に位置するフライブルグ市

フライブルグはグリーンシティの名の通り、街を歩くと、繁華街でも住宅街でも、いたるところで緑を見ることができます。

ワイン用ブドウ畑、博物館の前、市の中心街にある。
住宅街の中に大きな古い木を残すことで、夏は日よけ、冬は防寒の役割を担っている。
フライブルクの路面電車(トラム)の線路の一部は芝生になっており、騒音低減・雨水吸収・ヒートアイランド対策にも貢献している(ヴォーバン地区)

このように緑が豊かなフライブルクですが、詳しく知るにつれ、表面的な景観緑化の話ではないということがわかってきます。住民の強い自律意識のもと、「自然と共に暮らす」という共有目標が軸にあり、その軸に沿って都市全体の構造が練られ、運営もしっかりと設計され、住民本位のまちづくりが行われているさまを随所に見ることができるのです。

特にモデル地区として取り上げられるのが、中央駅からトラムで10分ほどの好立地にあるヴォーバン(Vauban)地区です。

便利で快適、だけど森のような街

「エコ地区」の象徴として注目を集めるのがヴォーバン地区は、かつて軍の敷地だった場所を、住民主導で徹底的に再設計した持続可能な都市計画の成功例となっています。

場所はフライブルク中央駅からトラムでわずか10分。にもかかわらず、街に足を踏み入れると、まるで森林の中に迷い込んだような緑の濃さに包まれます。計画的に緑化された通りには小川が流れ、ポニーのいる幼稚園もあります。

ディベロッパーを使わず建てた集合住宅

ここの住宅は集合住宅がほとんどですが、どれ一つとして同じ建物がないことに気づきます。

同じ建物がない理由は、ディベロッパーによる建売ではなく、住民同士が出資しあい、話し合いながら設計・建築を進めるという建て方が行われたからです。

ディベロッパーを使わないことで建築費は安く上がります。しかしそのぶん初期投資が必要になり、集合住宅となれば諸々面倒なことも出てくるわけですが、そうったリスクを取ってもなお自分たちで建てることをを選んだ「骨のある」人たちであると言えます。

「画一的な住まいはいやだ。ムダを省き、自分たちが好きなように作る。そのかわり他者や行政との話し合いなど、それに伴う労力をいとわない。」というあり方。それはエネルギーの効率化にも現れており、ソーラーを使ってプラスエネルギーハウスが実現している家も多いということです。

共有の場である公園や道路のあり方についても、時には粘り強く行政と話し合った結果、住民の意見が反映されたまちづくりになっているのです。

車を持たないエコ生活を支える

住宅の入口に必ずある駐車スペース。しかしこの街では、家の前に駐車スペースを設けていません。車を持っている住民は共有の立体駐車場を使うことになっているのです。多くの住民は車を持たず、トラムと自転車が日常の足となっています。街を歩けば、子どもを乗せたカートを自転車で引くパパやママが行き交う姿が見られます。

こうしたライフスタイルは、子育てに理想的な環境を生み出し、いまや若いファミリー層にとって圧倒的な人気エリアとなっているのです。

エリア内にはおしゃれなカフェもあります。親子連れ、シニアグループなど、それぞれ週末のひとときを楽しんでいる姿が見られました。

「ヒッピー」の知性と行動が原動力に

この街がなぜここまで徹底して「市民主体」を貫けたのでしょうか。

その根底には、歴史的な出来事があります。もともとこのエリアは、原子力発電所の建設予定地だったのです。しかし1970年代、市民(とくにヒッピー)による10年に及ぶ反対運動が展開され、ついには計画が撤回されるという、ドイツでも最初の市民勝利の記録となったのです。

ヒッピーというと、反骨と自然志向のイメージがあります。しかし実際の彼らは、大学関係者、技術者、研究者などのアカデミックなバックグランドを持った人たちが中心で、豊富な技術知識がエコ住宅の建築やまちづくりに大きな貢献をしたといいます。

彼らがいたからこその実現した自治の街。70代、80代になった現在も週ごとに集会を開いているとのことです。単に反体制のアクションを起こすだけでなく、街の未来を見据え、科学的知識と技術力、そして行動力があります。ヒッピーはフライブルグのひとつの原動力になっており、ヴォーバン地区だけでなく、黒い森のふもとのエネルギー自治の村でもその力を発揮しているのです。