日本で起きた世界でも有数の産業廃棄物不法投棄事件をご存知でしょうか。
1970年代、高度経済成長に伴う歪みとして表面化したごみにまつわる事件は多く、その中でも特に規模が大きく世界的にも話題となったのが「豊島事件」。その舞台となったのは、元々は瀬戸内海に浮かぶ自然豊かな美しい島だった香川県「豊島(てしま)」です。
廃棄物処理業界では有名ですが、当時話題になったとはいえ一般的には半ば風化しつつある本事件。その内容は聞けば聞くほど凄まじいもので、人間が「ごみ」とどう向き合うべきか深く考えさせられるものでした。実はまだ解決しておらず、現在進行中で原状復帰の作業が続けられています。
リサイクル会社として、メディア発信者としていつか取り上げたいと思っていた本事件。2022年11月にその現場を訪れ、「豊島事件」の住民運動を率いたリーダーのひとり、石井亨さんのお話を伺うことができました。本記事は、視察で「環境と人」編集長、新井遼一が観たもの、感じたことについて後日インタビューを実施したものです。
※旧サイト(環境と人)からの転載記事です。
日本最大級の有害産業廃棄物不法投棄事件「豊島事件」の今
―2022年11月に視察に行った「豊島事件」の現場。産業廃棄物を扱う者としてずっと訪れてみたかった場所だと聞いていましたが、視察をどの様に感じていますか。
今回はIDEAS FOR GOODさんのツアーに参加させてもらったことで訪れることができました。豊島は面積14.5k㎡、人口約900名の小さな島ですが、豊島を含む瀬戸内エリアは「瀬戸内国際芸術祭」の中心地、アートの人気観光地です。
その北西隅に事件の現場となった業者の敷地があります。面積は28.5ヘクタール。周りは海で囲まれています。2022年11月時点では不法投棄現場は通常立ち入ることが出来ず、事件当時のことを島民として体験している石井亨さんのアテンドがあっての見学です。広大なエリアの紹介や現在行われている作業の説明を聞きました。

―どのようなお話を伺ったんでしょうか?
まずは事件のあらましについてです。簡単に説明すると、現場となった島の一角に土地を持つある島民の方が、堆肥を製造するミミズの養殖場という建前で全国から産業廃棄物を受け入れ始めたのを発端として、利益のためにその場で燃やして投棄という行為を15年に渡り繰り返した結果、約100万トンにも及ぶ不法投棄現場となってしまった事件です。
島民は当初から問題視していたものの、当時の香川県がその業者を擁護する立場をとり、見て見ぬふりをし続けたため、ピーク時の豊島は廃棄物を満載した大型車やフェリーが行き交い、野焼きの黒煙が本島からでも確認できるほど酷い状態だったそうです。


最終的に兵庫県警が立ち入ったことによって発覚し、当時は全国ニュースとなって報道されました。これでやっと解決かと思いきや、100万トンの廃棄物は島民で何とかしろという話になってしまいました。世論は島民もグルだったのではないかという論調で、ごみの島として不名誉な謗りまで受けることとなりました。
島民の方々が立ち上がり、気の遠くなるような草の根的住民運動を続けた結果、時限立法を通じた国の財政支援による原状復帰を勝ち取り、そこから更に気の遠くなるような撤去活動が始まり、現在に至るというわけです。
―実際に不法投棄現場を訪れてどうでしたか?
豊島事件は産廃業界では教科書に出てくるくらい有名なので知識としては知っていましたが、実際に見て聞くのは大違いでした。不法投棄と不適切処理が引き起こす住民への健康被害や経済的損失に加え、破壊された生態系が持つ価値は計り知れないものであることを実感しました。また、現在進めている原状復帰という選択肢が、想像を絶する苦難を伴う長年の住民運動によって勝ち取ったものであることを初めて知りました。

しかし、2023年3月に本件に関する国の財政支援が終了し、約20年にわたった県の処理事業も一つの区切りを迎えます。我々が訪れたタイミングは巨額の資金を以て地下水の浄化作業が出来る最後の時期で、まだ汚染状態が元に戻っておらず最終的な解決には至っていないながらも、区切りをつけなくてはならなかった時期でもありました。
原状復帰というゴールに向かい、この先どうするか。不法投棄が始まった1980年代から40年もの期間がたち、語り部や後継者不足は深刻です。事件を風化してはならないと、今も時間と労力をかけて事件に向き合うその熱量と絶やさない活動量に感銘を受けました。
社会に返った100万トンの廃棄物

―具体的にはどの様な点にその熱量を感じたのでしょうか。
思いつくエピソードが沢山あるのですが、特に印象的だった点が二つあります。
第一に、100万トンの廃棄物の撤去についてです。100万トンという質量は911で倒壊したNYの貿易センタービル2棟分とほぼ同じで、これを積載した大型ダンプを並べたら香川から東京まで繋がるほどの量とのこと。
最も厄介なのは何が含まれているのかわからないことです。主な構成は解体された自動車のシュレッダーダスト(プラスチック)だと推測され、その燃え殻の層からは高濃度のダイオキシンが検出されました。その他、化学薬品や処理困難物も大量に投棄されていたため、作業員は福島第一原発と同等の防護服を着て作業に当たりました。

いきなり重機で掘り出すと高濃度の有毒ガスや爆発を招く危険があったため、まずは化学薬品が入ったドラム缶の位置をスキャンで特定し、そこを慎重に手作業で掘り出すことから始めたそうです。
全てが世界でも前例のない作業だったため、全国の科学者の知恵を結集し、全てのプロセスが透明性を持って公開されました。そうして撤去された廃棄物は、このためだけに近くに建設された溶融炉でスラグ化(1,200℃以上の高熱で溶かして無害化させること)し、セメント原料などにして全量社会に戻されたとのこと。つまり我々は知らない内に豊島の廃棄物の上で生活をしているのです。
事件の解決を先送りにしてはならない、島民の想い
もう一点は、資料館の壁にある住民運動に関わった方の名簿です。お亡くなりになられた方は名前の横に喪章が付くのですが、喪章が付いていない方の方が少なくて。

事件の中では被害者の立場であるにも関わらず「自分たちのことは自分たちで」「事件の解決を先送りにしてはならない」という島民の闘いぶりを知りました。計り知れない苦労の中で、解決を待たずに亡くなってしまった人の方が多いのです。それでも将来世代に問題を残してはいけないという想いからは、非常に大切なことを学べるのではないでしょうか。
当初は原状復帰ではなく、チェルノブイリのように石で覆ってしまうのが現実的な解決策だという声が多数派だったそうです。そんな利益を生まないことより、お金になることに投資するべきという人も多かった。しかしそれでも、元あった自然を取り戻すという選択を現実にした当時の方々を本当に尊敬します。気候危機やSDGsに際しても、人間の可能性を信じられるエピソードだと思います。

これは私の推測に過ぎませんが、島民の方がそこまでの想いを抱いた理由にそれが「ごみ」という目の前の物質的な存在だったから、ということが影響している気がしています。温室効果ガスは目に見えないですが、ごみは現実にそこにあり、誰かが何とかしなければそこにあり続けるものです。これを自分たちの子どもに背負わせるわけにはいかないと思った方も多かったのではないでしょうか。そう考えると、ごみの行く先が見えなくなっている今の社会はバランスを欠いていて、廃棄物処理業者のみならず、全ての人間が豊島事件を知る必要があるとも思います。
「罰則があるからやる」のその先に
―この豊島事件の社会的影響はどのようなものだったのでしょうか。
事件以降、産廃処理に関する法整備は進みました。産業廃棄物は全てマニフェストという帳票で管理され、どの様に運ばれ、どんな中間処理がされ、最終的にどこに埋め立てたのか、記録されています。これに違反すると懲役・罰金という厳しい刑罰が科されることとなります。
このマニフェスト制度の背景には、排出者責任という考え方があります。豊島事件でも、直接的に事件を引き起こしたのは廃棄物を受け入れていた業者や黙認していた自治体ですが、その影に廃棄物を引き渡した企業が多数いるわけです。中には有名なブランドやメーカーもいたかもしれません。しかし、当時は彼らの責任を問うことができなかったわけです。
罰則でトレーサビリティを確保するこの仕組みは多くの先進国で採用され、不法投棄事件を大きく減少させることに成功しました。

しかし排出者の意識はというと、まだまだ浸透しているとは言えないと思います。廃棄物に関する法律や業界の仕組み自体が非常にわかりづらいという点はありますが、安く処理できればいい、法律は守るが処理方法は関知しないという方が大半だと思います。
大企業ではコンプライアンスでそこまでやるところも多くなっていますが、担当部署以外は自分ごとになりづらいのは一緒です。ESG経営が求められている今、CSRなど担当部署だけではなく全社で協力体制を敷かなければ、温室効果ガス排出量の算定などの作業一つとっても「なぜそれをやるのか」という認識が違うため、調整コストがかかり過ぎてしまいます。
そういった意味でも、この豊島事件というのは大袈裟でなく全人類の必修科目としてもいいくらいに考えています。当時の語り部が少なくなっていく中で、事件をより多くの人に伝える仕組みが必要ですし、廃棄物を扱うメディアとして責任を持ってその役割に当たっていきたいと思います。
そして発信の内容についてももっと考えていかねばならないと思います。数値として利益追及のみ行うことが、長期スパンでの経済合理性に合っていないと根拠を持って伝えることも必要ですね。
他の社会問題と違い、目に見えるごみだからこそ訴えるものがあるとこれまで経験してきましたが、その先にあるメッセージも考えていきたいです。
ーそうですね。これからの発信に期待しています。
参考文献
・もう「ゴミの島」と言わせない――豊島産廃不法投棄、終わりなき闘い
・豊島(てしま)・島の学校
・豊島(てしま)のこころ資料館