北海道石狩市で羊を飼育する「石狩ひつじ牧場」。ここで育てられた羊肉が先日、国内初の「JAS有機畜産物」認証を受けました。牧場オーナーは理科教員から転身した異色の経歴の持ち主。環境負荷の低減やCO₂削減、フードロス解消を実現したいと、河川敷での放牧や廃棄野菜をエサにするなど独自の方法で持続可能な畜産に挑んでいます。
国内初「JAS有機畜産物」の認証を受けた羊肉
2024年10月24日。国内で初めて、羊肉でJAS有機畜産物の認証を受けた牧場があります。札幌市の北側に隣接する石狩市で羊を育てている「石狩ひつじ牧場」です。
ここでは、北海道一の大河・石狩川の河川敷およそ2.5ヘクタールで、今年は30頭の羊を放牧しています。石狩湾に続く広い空のもとで羊が草を食む光景は、穏やかな時間が感じられます。1級河川の河川敷は国が管理していて、地盤強化などの目的から芝や牧草が植えてあるのですが、農薬や化学肥料は一切撒かれておらず、河川敷に生えている草は有機飼料となります。
JAS有機畜産物の認証を受けるには、化学肥料や農薬を一切使っていないエサを与えることや、動物福祉に配慮した環境で育てることが求められるなど、厳しい基準をクリアする必要があり、石狩ひつじ牧場は、この河川敷で5か月齢未満の羊7頭を6か月間放牧し、JAS有機認証を取得しました。
メリット多数の河川敷放牧
全国の1級河川の河川敷は、堤防の保全や異常の早期発見につなげるため定期的に除草が行われていますが、河川敷という広大な面積で、その維持管理費には多額の税金が使われています。草刈り機の使用によるCO₂排出も見過ごせません。
これらの課題の救世主となるのが羊で、河川敷への羊の放牧は「地球・ひと・動物」の三方良しの状況につながっていくと考えられます。
- 羊が草を食べることで除草になり、維持管理費として使われる税金が削減できる
- 草刈り機の使用が減るので、CO₂を削減できる
- 畜産農家は羊のエサ代を減らせる
- 堤防は緩やかな傾斜があり、水はけがよく、乾燥を好む羊には適していて、動物が健康で快適な生活を送れる環境を提供する考え方の「アニマルウェルフェア」につながる
- 消費者は、有機飼料を食べ、アニマルウェルフェアな環境で育てられた安心・安全な国産の羊肉を食べることができる
ここで出てくる疑問が、河川敷放牧は羊でなければならないのか? ということです。牛は体が重くて堤防が壊れてしまう恐れがあり、ヤギは賢くて簡単に脱走してしまう。それが、石狩ひつじ牧場に放牧を持ち掛けた、河川事務所の見解です。
2021年、石狩ひつじ牧場のもとを河川事務所の職員が突然訪れ、「石狩川に羊を放牧しませんか?」と声を掛けたのが河川敷放牧の始まりでした。
理科教員からワインとチーズの輸入販売業を創業
石狩ひつじ牧場を経営するのは、山本知史(やまもと ともし)さん、62歳。十数年前に手探りでスタートした牧場経営に、ようやく手ごたえを感じ始めています。
生まれは福井県。都内の国立大学進学で上京し、卒業後は中学校の理科の教員として教壇に立っていました。東京都江戸川区の教員から北海道紋別市の中学校に転勤し、3年経ったころ、「生徒を励ますのではなく、自分自身を励まして、人生の成果を上げたい」とワイン輸入業の創業を目指し、退職を決意。ワインだけでなくチーズも輸入するようになり、事業は軌道に乗りましたが、山本さんはさらに次なる挑戦に立ち向かったのです。
「誰かが作ったチーズを売るのではなく、一から自分でチーズを作り、地元の名産品にしよう!」
事業でさまざまなチーズの味わいを知っていた山本さんが心から美味しいと感じたのは、羊の乳から作ったチーズでした。日本では少なかった乳用種の羊を求めて、オーストラリアとニュージーランドのブリーダーに接触し、生体のままの羊を自ら輸入し北海道まで運んだのです。その数、二度の渡豪で110頭。
理科の教員でしたので動物を育てることに抵抗はありませんでしたが、いきなり数十頭の羊を飼育するのは勝手がわからず、失敗と苦労の連続。畜舎に火をつけて廃業しようかと真剣に考えたこともあったそうです。
そのとき思い浮かんだのが、小学生の頃、校長先生が話した「中断はゼロである」という言葉でした。教員から輸入販売業に転身し、見つけた目標、オーストラリアから連れてきた羊……。
「自分がやらずに誰がやる」と気持ちを奮い立たせ、畜舎に火をつけることを止めて、それからはまっしぐらに進んできました。
羊と取り組むフードロス削減
「環境と食と畜産」。牧場を始めてから、常に山本さんの頭の中をめぐっているワードです。創業時から4年間は、先輩の羊飼いに倣い、一般的に使われる牧草と輸入された配合飼料を使っていました。しかし「これでは本当の意味で国産の羊肉やチーズにならない」と、悶々と考える日が続いていました。
とあるきっかけから、近くの食品加工工場から出る野菜クズやおからなどの廃棄物を引き取り、羊に与えてみることに。廃野菜は、乾草と違い可食率が90%以上で、食べ残しが少なく、畜舎の掃除が楽になり、そして何より、羊肉や羊乳の味が良くなりました。白菜、ニンジン、キャベツ、ピーマンなど、人間が食べる野菜の豊富な栄養が、羊の良質な肉や乳につながっているのだと山本さんは思いました。
石狩ひつじ牧場で消費する廃野菜の量は、1日で生野菜1トン、おから300kg。牧場はエサ代が、加工工場は廃棄費用が削減できる、ウィンウィンの取り組みです。エサの調達先がすぐ近くであるため、輸送にかかるエネルギーやコスト、人手なども少なくて済み、まさに山本さんのテーマだった「持続可能で環境負荷の少ない畜産」を実現したものとなりました。
本格的な味わい「石狩ひつじブルー」
さて、牧場経営の始まりが「自分が育てた羊の乳で、自分でチーズを作りたい」だった山本さん。その夢は現実のものとなりました。
日本初の国産羊乳チーズ「石狩ひつじブルー」。
乳脂肪分7%のコクある羊乳で作った青カビのチーズで、山本さんの自信作です。10月に行われた国内最大級のチーズコンテスト「ジャパンチーズアワード2024」では惜しくも入賞を逃したものの、ECサイトでは出品後すぐに完売するなど、市場で高い評価を得ています。
廃棄野菜と河川敷……。これまで無駄とされてきたものを活用して、質の良い食肉や乳製品を作り出す山本さんの取り組みは、畜産の慣例に風穴をあける一例となりそうです。
羊とのふれあいで知ってほしい「食の大切さ」
2024年9月1日(日)。秋晴れの石狩川河川敷に子どもたちの歓声が響きました。山本さんはじめ、ボランティアスタッフからなる実行委員会主催の「石狩川ひつじまつり」。今回で3回目の開催です。河川敷放牧を知ってもらうだけでなく、羊とふれあうことで、フードロスや食料自給率の問題など、食の大切さを考えるきっかけにしてほしいと行っています。
この日会場には1,000人近い親子連れが訪れ、羊の背中にまたがったり、羊に廃野菜をあげたりして楽しむ姿が見られました。さらに、石狩ひつじ牧場で育てられた羊の肉を使ったそぼろ丼や、羊乳チーズをトッピングしたサラダ、羊乳ジェラートなどが販売され、生産者と生産地の見える食に理解を深めていました。
参加者からは「羊を間近で見ながら肉を食べるのはかわいそうな気もしたが、だから食べ物を大切にすることができると感じた。おいしくいただいた」「1頭1頭に人の目が行き届かないような広い河川敷で放牧しても、羊が逃げないことに驚いた。羊が気持ちよさそう」などの声が聞かれ、持続可能な食のあり方を考える貴重な機会となったようです。
「都市近郊型畜産」の確立を目指して
山本さんが目指すところは、環境負荷が少なく、持続可能で、食料自給率のアップにつながる畜産。それができるのは「都市近郊型畜産」と考えています。
その内容とは、
- 都市部で発生する廃野菜を活用する
- 河川敷という農地ではない場所で放牧する
というもの。
都市部で発生する廃野菜を活用することで、フードロスの解決につながり、化石燃料を使った焼却量を削減できる。そして河川敷という農地ではない場所で放牧することで、“農地”のような場所が増え、農業者でなくても河川敷を借り季節就農をして、自給率の底上げにつながる、と。
山本さんは言います。「農業は、地域環境や立地条件で、その場に適した取り組み方を変える柔軟な姿勢が求められます。ただでさえ低い『食料自給率』は、石狩ひつじ牧場のように捨てられていた食べ物を活用することで改善できると考え、取り組んでいます」
SDGs達成目標の2030年まで、あと5年余り。これまでの常識や慣習にとらわれず、山本さんのような挑戦を続ける人の先に、持続可能な社会が見えてくると信じています。