2024年の元旦に発生し甚大な被害をもたらした能登半島地震。あれから1年、現地はどのような状況なのでしょうか。サーキュラーエコノミードット東京では、能登の地域再生の状況について現地で取材を行い、「能登半島で今起きていること」について4回に分けてお届けします。
最も被害がひどかったのが震源地に近い石川県珠洲市近辺。同市では震度7の激しい揺れが観測され、建物の倒壊や道路寸断、ライフラインの停止が相次ぎました。
被災から1年が経過した今も、復興の途上にある現地では、人々や企業が一歩ずつ再建への道を模索しています。
珠洲市のいま
12月中旬、震災から1年が経過した能登半島を訪れました。冬の冷たい空気が肌を刺す中、能登空港から珠洲市へと向かう道すがら、震災の傷跡が今なお深く刻まれている光景が目に飛び込んできます。道路には大きな亀裂が残り、通行止めとなった区間もまだ残っています。震災後そのまま残された家屋が点在する一方で、がれき処理が終わり、更地となった場所も目立ちます。街に人の気配は少なく、がれき処理のトラックだけが目立ちます。
そんな状況の中、珠洲市の中心にある道の駅の隣にあるプレハブ店舗「すずなり」は、ひときわ賑わいを見せていました。ここはもともと地元特産品や新鮮な農産物を販売する観光拠点として親しまれてきた場所でしたが、震災後もその役割は変わりません。地元住民や復興作業に携わる人々が集まり、食事や会話を楽しむ姿が見られています。
厨房では、珠洲市真浦で飲食店を経営していた料理人、和田丈太郎さんが腕をふるいます。和田さんの奮闘ぶりは12月15日放映の、NHK「真面目な男の復興記〜石川・珠洲市真浦の模索〜」で報じられました。景色が自慢だった真浦の和田さんのお店は地震で被災し、一時は復旧の目処が立ちましたが、9月の大雨でさらに大きな被害となり再建の道はさらに厳しくなりました。取材チームが食べた「タコカツ丼」は、和田さんの和食店の人気メニューでした。
競走馬に『第二の人生』を―地域と共に歩むSUZUホースパークの挑戦
2023年8月、珠洲市の遊休地を活用して誕生した「SUZUホースパーク」。ここは、競走馬として現役を退いた馬たちが自然豊かな環境で第二の人生を歩む場として設立されました。
統括管理を担う責任者の大澤知加さんによると、現在8歳から18歳のサラブレッド7頭が暮らしており、一部は引退後すぐに、また他の馬たちは脚の故障などで行き場を失い、この場所にたどり着いたといいます。競走馬の多くが新たな行き先を見つけられず命を落としてしまう現状を、大澤さんは危惧しているのです。
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、SUZUホースパークにも甚大な被害をもたらしました。大きな揺れで堆肥舎が倒壊し、電気や水道といったインフラも途絶え、スタッフは雪を溶かして飲み水を確保しながら、車中泊で寒さをしのぎ、昼夜を問わず放牧された馬たちを守り続けたという大変なご苦労がありました。
「ニュースでは震災の話題がすぐに消えてしまいましたが、私たちの復興はまだ続いています」と大澤さんは語ります。
震災の試練を乗り越え、SUZUホースパークは2024年9月1日より一般見学を再開しました。しかし、施設の復旧はまだ道半ばで、馬房や柵の修復も応急処置のまま。復興工事の見通しも立っていません。それでもスタッフの皆さんは、訪れる人々に馬たちの今の姿を見てもらい、この地で続けている取り組みを知ってほしいと考えているのです。
復興への道のり
道中で、震災で発生したがれきを集めた仮設の集積場が目に入りました。倒壊した家屋や建物の一部と思われる木材が幾重にも積み上げられ、その光景は自然災害の圧倒的な力を突きつけています。がれきの山とその脇に広がる更地が混在する風景は、復興の進展と被災地の現実が交錯する姿そのものといえるのかもしれません。
石川県は来年10月を目標に震災廃棄物の処理を進める方針を示していますが、地元の方からは「それまでに終わるのだろうか」という不安の声もあります。
災害の国、日本。能登の復旧、復興の道は、誰にとっても明日の我が身と考えれば、自分ごととしてこれからも皆が注視していくべきだと思いました。
地域の"中間支援組織"である「里山里海未来財団」では、能登の里山里海の存続を守るために年間サポーターを募集しております。「里山里海未来財団」を支援する
道の駅 すずなり https://notohantou.jp/
珠洲ホースパーク https://minnanouma.bitfan.id/