記事を読む

鎖国下にあった江戸時代は、海外からの物資が入らないため、すべて自国で循環させる「エコ社会」でした。太陽エネルギーと植物を利用して、ほとんどすべての必要物資とエネルギーを賄っていたのです。

江戸時代の循環型社会に対し、現代は経済発展による「使い捨て」文化が主流となり、地球温暖化や資源不足といった深刻な環境問題に直面しています。

そこで本記事では、循環型社会を実現していた江戸時代の衣食住についてご紹介しながら、現代の日本が取り組むべきことについて考えていきたいと思います。

※旧サイト(環境と人)からのリライト記事です。

鎖国が生んだ循環型社会

徳川家康が1603年征夷大将軍となって始まった江戸時代は、1639年から1867年の大政奉還までの215年間鎖国状態にあり、経済や文化が独自の発展を遂げました。その間外国からは何も輸入せず、すべてを国内の資源で賄っていたのです。

日本には化石燃料が乏しかったため、江戸時代では太陽エネルギーと自然資源を活用して、独自の循環型社会を築き上げました。

当時の日本の総人口は約3000万人。人口が安定し、完全に自給自足の循環型社会が約200年にもわたって続いた江戸時代には、新しい循環型社会のあり方を探る知恵やヒントが隠されています。

「植物」を徹底利用

江戸時代の循環型社会のキーポイントになるのは、植物の徹底利用です。江戸時代は、生活資源のほとんどを植物に依存していました。衣食住、さらにはエネルギーに至るまで、植物資源を徹底的に活用し、それらを無駄なく循環させていたのです。その時代に行われていた4つの植物利用を見てみましょう。

1. エネルギー利用:行灯(あんどん)

照明器具として使われていた行灯は、植物から抽出した油を燃料としていました。具体的にはエゴマの種から取れる荏の油や、菜種油、綿実油が主に利用されました。
燃焼すると二酸化炭素と水に分解されますが、これは翌年に再び育つ植物の栄養素として還元され、自然の中で循環していたのです。

2. 衣服:着物

着物の素材には、主に綿花や麻などの植物繊維が用いられていました。仕立てには無駄が出ないよう工夫が凝らされ、直線縫いによって再利用や仕立て直しが容易にできる仕組みになっていました。
さらに、着物として役目を終えた後も、布は寝間着や雑巾、燃料へと転用されました。最終的には灰となって土壌に返され、肥料として再利用されることで植物に戻っていたのです。

3. 住居:建築資材のリサイクル

家屋の建築に使用された木材や、植物性の壁材(漆喰や土壁)は、修理・再利用が可能な設計でした。特に木材は、解体後も他の家の建材として再利用され、無駄が出ないように工夫されていました。木屑ですら燃料に転用され、灰として農地の肥料にされていたのです。

4. 食料:米とその副産物

江戸時代には、米の収穫量が年間約500万トンに達していました。米は食料として消費されるだけでなく、副産物である藁(わら)や糠(ぬか)も徹底的に活用されました。藁は屋根材、縄、草鞋(わらじ)などに加工され、最終的には燃料として燃やされて灰となり、農地の肥料として再利用されました。

工夫に満ちた江戸時代の家

江戸時代において、家を建てることは莫大な資源と労力を要する大事業でした。そのため、一度建てられた家は何代にもわたって大切に住み継がれることを前提として、長期的に使用できる工夫が多く施されていました。資源を無駄にせず、修繕や再利用を可能にするための技術と知恵が至る所に見られます。

1. 匠の技術による耐久性と柔軟性の確保

江戸時代の職人たちは、建物を長く使えるよう、修繕や再構築が容易になる工夫を凝らしました。接合部分には「継手(つぎて)」や「仕口(しぐち)」といった金釘を使わない技術が用いられ、木材は分解して組み直すことができました。これにより、必要に応じて家の一部を修理・再利用することが可能でした。

また、寸法が規格化されていたため、異なる建物間で部材を転用することも容易でした。これらの技術によって、建築資材が無駄なく循環されていたのです。

2. 調湿・耐久性に優れた建材の使用

江戸時代の家屋には、地域の気候に適応した建材が使用されていました。例えば、湿気を調整する効果を持つ土壁や漆喰(しっくい)の壁材が多く使われました。これらの壁材は、湿度の高い日本の気候でも家屋を長持ちさせ、快適に保つ役割を果たしていました。

3. 家族構成や生活に合わせた柔軟な間取り

家は、家族構成や生活の変化に合わせて長く住み続けられるよう、間取りを柔軟に変えられる設計がされていました。代表的な例が「引き戸」の採用です。壁の一部として機能する引き戸を取り外したり移動させたりすることで、部屋の広さを自由に変えることができ、家族の人数や用途に合わせた空間の調整が容易でした。

4. 建築資材の徹底的なリサイクル

江戸時代の家づくりでは、建材を無駄なくリサイクルすることが当たり前でした。解体された家の木材や瓦は新たな家や施設の建材として再利用され、建築現場で出た木屑すら持ち帰られて、燃料や他の資材として転用されていました。こうしたリサイクルの徹底により、江戸時代の建築資源は持続可能なかたちで循環していたのです。

灰までリサイクルした着物の利用

江戸時代の着物は、仕立てから廃棄に至るまで、無駄なく徹底的に再利用されていました。以下、その流れを見ていきましょう。

1. 仕立て:無駄のない布の使い方

着物は、幅36.1cm、長さ11.4mの布(反物)を切り出して仕立てられました。裁ち落としが出ないよう直線的なパターンで作られ、布を無駄にしない工夫がされていました。
さらに、直線縫いで仕立てられていたため、着物は簡単に仕立て直しが可能でした。子供用の着物では、成長に合わせて縫い上げた部分をほどくだけで長さを調整できる仕組みが採用されていました。

さらに着物はどんな体型でも着ることができ、背が伸びたり太ったりしても、すべてが直線縫いなので仕立て直しが簡単であるという利点があります。子供の着物は大きく仕立て、腰や肩の部分を縫い上げておくのが一般的でした。こうしておくことで、成長したときに縫い上げた部分をほどくだけで長さを調節できるのです。

2. 使用:長く着られる工夫

着物は男女や年齢を問わず、多様な場面で着用されました。丈夫な素材と仕立ての工夫により、家族間で受け継いだり、仕立て直しをすることで、何度も再利用されました。着用中に傷んだ部分は繕われ、補修を繰り返しながら長期的に使用されていました。

3. 再利用:別用途への転用

着用が難しくなった着物は、寝間着やおむつ、雑巾などに転用されました。布地が限界まで使い尽くされることで、新たな資源を消費せずに生活用品として再活用されていたのです。

4. 燃料としての利用

布が完全に擦り切れ、他に転用できなくなった段階で、着物はかまどや風呂釜の燃料として使用されました。この段階で衣料品としての役目を終えると同時に、エネルギー資源として再利用されました。

5. 灰の活用:最終段階

燃やされた後に残る灰は「灰買い」と呼ばれる商人によって回収され、農村部へと売却されました。灰は農地の肥料や陶器の上薬として利用され、最終的には土壌に還元されることで、植物資源として再び循環に戻るのです。

循環における「米」の役割

江戸時代において、米は単なる主食としてだけではなく、生活全体を支える重要な資源でした。米とその副産物がどのように循環していたのかを、生産から再生までの流れに沿って見ていきましょう。

1. 生産:米の栽培と収穫

江戸時代の日本では、毎年およそ500万トンの米が収穫されていました。米は全国の農村で主要な作物として栽培されており、その栽培には堆肥や下肥(しもごえ)が用いられました。これにより、土壌の栄養が循環し、安定した収穫が維持されていたのです。

2. 消費:米の利用

米は食料として消費され、種籾や備蓄分を除いて人々の主食となっていました。食事によって消費された米は、最終的に排泄物となり、これがまた肥料として農地に還元されました。

3. 副産物の利用:藁・糠(ぬか)・籾殻(もみがら)

米の収穫時には大量の副産物が生じますが、以下のように多用途で活用されました。

  • 藁(わら):米俵や草鞋(わらじ)、屋根材などの生活用品や建材として利用され、5割近くは堆肥として農地に還元されました。また、燃料としても使用され、最終的には灰となります。
  • 糠(ぬか):米ぬかは保存食のぬか漬けに使われたり、肌の手入れ用の洗浄剤としても活用されました。
  • 籾殻(もみがら):籾殻は燃料や敷料(しきりょう)として利用され、灰にして肥料として土に返されました。

4. 再利用:排泄物の肥料化

米を食べて排泄されたものは、発酵・熟成されて「下肥(しもごえ)」として農地に戻されました。この下肥は非常に貴重な肥料とされ、都市部から農村へと輸送されていたのです。つまり、循環のビジネス「サーキュラーエコノミー」が成り立っていたのです。下肥の徹底した管理により、江戸時代の川や水源は非常に清潔に保たれていました。

5. 循環の完成:灰の活用と土壌への還元

藁や籾殻、燃料として使用された布などの植物性廃材は、燃やされた後に灰となり、農地の肥料として再利用されました。灰は「灰買い」業者によって農村に運ばれ、再び作物の栄養となって土壌に還元されることで、循環の一環を成していました。

まとめ

「温故知新(昔の事をたずね求め〔=温〕て、そこから新しい知識・見解を導くこと)」という言葉があります。昔を振り返ることは、今をよりよく生きることにつながります。現在の生活を江戸時代に戻すことはできませんが、この時代「ものがない」ために生まれた人間の知恵と工夫は、現代でも大いに参考になるのではないでしょうか。